MTGが好きだ。

たわいもなくそのように、そっと呟いてみる。唱えてみる。

するとどうだろう。道行く幸福そうな家族が、iPhoneをこねくりまわしているサラリーマンが、スキニージーンズを履いた大学生が、ペアリングを光らせたカップルが、侮蔑と優越と訝りの混じった視線をこちらへ投げ掛けてくるではないか。なんということでしょう。

自然、僕の呪文は打ち消される。嗚呼、雲散。


なにがさて、25歳になった。政治的対外的理由により、好きなものを好きだと叫び続けるにはある種の覚悟が必要な年齢になった。周囲の、かつて同じ釜の飯を食った者達は皆、何かを諦め、家族を得たり、貯金をしたり、極めてリアリズムに根差した日常をあくせく送っている。かたや僕はといえば、いい歳してアルバイトをしながら、カードゲームをしたり、ネットに一日を費やしたり、小説に惑溺したり、悪いことではないのだろうけれども、まったくこの罪悪感の正体は何であろうか。「いい歳して」という前置詞は、存外に強力な打ち消し呪文であり、ましてや、その後に続く名詞が"カードゲーム"であった場合、理解を得るのはやはり容易いことではない。そのようにして、一部の人間にのみ公表された僕の趣味は、順調に部屋の中でふつふつと発酵してゆくのであった。

トレーディングカードゲームが市民権を得ることは恐らく有り得まい。その閉鎖性、排他性、オタク性、どこを切っても"きもちわりい"イメージは払拭できない。何故ならばまずオタクが好むアニメーションが"きもちわりい"と認定されている。殿堂入りである。何故アニメーションが"きもちわりい"と認定されているかということを書くと長くなるので兎に角そういうものであると前提する。一般にアニメーション、或いはそれに属するキャラクターをマネタイズしたい場合、グッズ化がなされるが、その数多のグッズの中のひとつとしてトレーディングカードゲーム化がある。或いは全く逆に、まず"玩具を売りたい"というマーケティングの下、広告としてアニメーションが作られるケース、この二つがあると容易に推測できる。詰まるところこのジャパンに於いてはアニメーションとトレーディングカードゲームは切っても切れない関係性にあり、蜜月であり、ねんごろであり、極めて簡単に記せば"きもちわりい"ということである。原作のアニメーションを持たず、ファインアートを取り入れたMTGですら国内では、このイメージの下"きもちわりい"と認識されるのである。

僕はそれらに異議を唱える者である。
唱える者である、とかいって随分と大仰な物言いであるが、ゲーム性がスポイルされて、ヴィジュアルイメージだけで否定されるということがどうにもこうにも鼻持ちならないし、隅へ隅へ追いやられて、ビルディングの狭く暗いむさ苦しいカードショップで内弁慶的ユートピアが築かれている現状にもノンを突き付けたい。公表されるべきだ。そして、知るべきなのだ。

「25歳、フリーター、趣味はMTGです」

良いではないか。

如何せんもう、尻ポケットがブラックロータスでいっぱいである。溢れ出るマナをリソースに、敢えて今声高に叫ぼう。僕はMTGが好きだ。たわいもなくそのように。

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